なぜ「綺麗」「可愛い」でシャッターを押すのをやめたのか

「撮りたいとやりたいは一緒」である。

写真を真剣に始めようとした時に読んだ本の中に書かれていた言葉で、昔の雑誌に寄稿していた文章を纏めた「アラーキー文学全集」か何かで読んだんじゃないか、と思う(何で読んだか記憶が定かではないが、アラーキーの言葉なのは確か)。「写真時代」という、これから写真をやろう!としている少年・青年(時代は違うが、当時の私もそうだ)に向けた雑誌に書いてたんじゃないかなーと思う。

「撮りたいとやりたいは一緒」うーん深いぞ、確かに「やりたい」は意気込むのは楽だが実践するには双方リスクの伴う行為だ、生半可な気持ちではやれない。そうか、写真を撮るというのは、それくらい真剣にやらねばならないのだな、愛することなのだな、シャッターを押すというのは。

…と、当時はそう真に受けた、マジで。
samampe少年(もう20才に近かったが)は本当に純真だったのである。

「彼女が刺青を入れた前夜」 model: Y

この世界には、何も考えずに猿みたいにやりまくってる人が、もういい大人なのに、むしろいい大人にこそ、そういう奴がいるんだ、ということに気付くまで、そう時間は掛からなかった。何も考えずにただ撮ってるやつも、カメラがどんどん安く便利になるたび、大量に増殖していった。デジタル一眼が手に届きやすい金額になり、4/3のミラーレス一眼も出回り始めた頃だ。

あの頃、自分はどうだったか。

下半身で写真を撮ったことが1度もない、と胸を張って言えない程度には、少年から大人に移り変わっていたものの、「可愛い」「綺麗」をファインダー越しに感じつつ、それを言葉にして被写体に伝えながら、その瞬間を切り取るんだぞ!今の自分しかできないことをするんだ!と一生懸命になって撮っていた。ような思いがある。

そして今、「可愛い」「綺麗」だけを動機にシャッターを押すことをほぼやめた。やめようとしてやめたというよりも、自然にそうなっている自分を感じた。

なぜやめたか。「可愛い」「綺麗」を根拠に撮る行為と、「やりたい」を根拠に撮る行為に、本質的に差は無い。と感じ始めたからでは、と自分の「無意識」を振り返り、そう思う。

動物として「子孫を残す」という大義をDNAに刻み込んで生まれてきた私たちにとって、異性に性的魅力を感じることも、魅力を感じた相手にアプローチしたいと思うことも、至って普通のことである。
「可愛い」「綺麗」と思った異性に、撮りたいとアプローチを持ちかけて写真行為に踏み込む。

「撮りたいとやりたいは一緒」なるほど、本当に上手いことを言うよなあ、と十数年越しに以前とは違う解釈で、アラーキーの天才さに感動する。

「被写体さん皆さんが可愛すぎて〜」「どのモデルの方も美しすぎて写真がやめられないんです〜」とか何とか、調子こいたテンションでSNSに書く人に、嫌悪感を感じる時がある。女性同士の馴れ合いっぽいやり取りも例外ではなく、むしろ「オッサンよりオッサンみたいなこと書くなあ…」と女性の中の強い男性性を不意に目の当たりにした時も、同種の嫌悪感を感じることがある。

別に誰か批判をしたいわけでは無い。特定の誰かを想定して書いているわけでも無い。

日常的に「綺麗」「可愛い」と1対多に安易に発信し続けていたり、女性蔑視を無意識でしていたり、特定のモデルを囲い込んで自分だけのものにしようとあからさまに他人にアピールする姿勢が不意にSNSで垣間見れた時。発情期の猿がマウンティングするそれとそう変わらないのでは、と。せっかく写真が良いものでも、見る気持ちが醒めてしまう。

他人のことは極論どうでもいいし、他人からどう思われようが構わない。でも、自分を客観視した時、同じように見えたらちょーカッコ悪いじゃん、と思う。心底思う。

無防備にチヤホヤ撮るのは(その姿に呆れられ、冷たい視線を浴びせるのは)妻だけで十分だ。

だから、「可愛い」「綺麗」だけでシャッターを押すことをやめた。

「そして彼女は刺青を入れた」

ここ3年くらい、目指しているのは70代のムツゴロウさんの境地である。

セックスのパトス(欲情)がなくなったのと関係しているとも思いますね。今でも、女の子に囲まれれば素晴らしいですよ。でも自分との関係で相手を見なくなるんです。ブラジルでも、青空に溶けるんじゃないかってくらい肌の白い女性があっちから来るでしょ。胸が豊かでね。ああ、素晴らしいなあって見てますよ。素直に『美』として女性を見られるようになったんですよ

人生は夕方から楽しくなる

 

アラーキーが自身が絡んでる風の写真を辞めて、弟子に絡ませて撮るのを始めたのは30代後半くらいか。「撮ったことで、やったことと一緒になるの」とか何とか言い訳していたが、まあ、それは弟子が出来て楽になったとか、自分が入らない分だけ体力的に楽とか、構図広がるよね、とか「そもそも」な写真の事情もあって、なるべくして、そうなったのであろう。

しかし、ムツゴロウさんの境地となると、まだまだ修行が必要そうだ。ムツゴロウさんが野生動物に真剣に向き合ったほどに、モデルと真剣に向き合い、学ばねばならない。

ムツゴロウさんの動物人生を思えば、気が遠くなりそうだ(そもそもムツゴロウさんって誰か、通じているか)。野生のライオンならぬ野生のモデルに腕を噛みちぎられるくらいのハプニングも、受入れらなければならないかもしれない。

感じるがまま、青空の中に白い肌が溶けていくような、そんな写真を撮れるようになりたいものである。

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