ヌードも下着も撮れんぞ気安く、と思う今日この頃

撮ることに、撮ったことに対して、責任を持つことができないので、かんたんには「撮れません」。下着やヌードについては特に。

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着衣の有無に関わらず、撮ること、撮ったものを公開することには(内容によって「重さ」の違いはあるが)常に責任を伴うと考えている。昔(江戸時代〜昭和初期)の人には、写真に魂が吸い取られると言う人がいた。もちろんオカルトである。が、その感覚は正しいと思う。「写真は怖いもの」と言うこと。写真を撮る人は、常にその感覚を忘れてはならないと思う。

なんでこんなことわざわざ書こうかと思ったかと、その動機は「貴女の被写体活動の今後のために、こう言う写真も必要なんだよ」と言う強気の勧誘がしつこくくる、と言う話を撮影中に聞いたので。もっと言えば、その話を教えてくれた人は、SNSから静かに姿を消してしまったので。

私は霊能力者でも預言者でも、細木数子でもない。秋元康でもない。だから、「貴女、これをすれば売れる」「貴女の魅力はこれで認められる」「貴女は脱がなければダメなんだ」などと、そのようなこと全くわからないし、冗談でも気軽に言えない。ましてや、「あっ、なんかセクシーでいい感じ♪」くらいの軽いノリで、その結果で人生が(少し)変わってしまった責任など、取りようがない。

責任を取りたくない、のではなくて、「取れない」。思うに、こういったことは誰かの意思ではなく、自分の意思で筋を通してやり抜くことだとなのでは、と。自分を守れるのは自分だけなのだから。

世のおじさん、おばさんたちよ。自分の欲求のために相手を無理をさせるの、やめませんか。

強い意志と意地を持ったもの同士でだけでやりましょうよ。

ああ、説教臭くなってしまった、ヤダヤダ。

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