コンクリートロードに対する重い思い

コンクリートロードに対する具体的な思いを言葉にしたい。なお、この表現はジョークである(説明はしない)。

model: 人生詰み子さん https://twitter.com/5p655

だが、コンクリートに思い入れがあるのは本心だし、映画「耳をすませば」に淡い青春に感じたのも本心だし、「平成狸合戦ぽんぽこ」で、狸にちょこっと肩入れしたのも事実である。というわけで(どういうわけだ)、私は多摩ニュータウンに行ってきた。

以下、真剣に書く。

少し前に書いた、「団地で撮る理由」

これを書いているときには撮影の話は決まっていたので、この「ニュータウン」は、多摩ニュータウンのことを少し意識して書いていた。

なぜ私が「団地」にこだわるのか。

その理由は、団地という存在に、昭和~平成前半の典型的の「幸せ」を見出そうとしているからではないか、と思います。

今よりも「幸せ」のスタイル・選択肢の幅が狭かった時代に、ニュータウンと呼ばれた家族向けに団地に住まいを構えて、子供を生み育て送り出し、夫婦で静かな生活を送る。

団地に住んでいた人すべてが幸せだったわけではありませんが、シンプルな「幸せ」の生活がそこにかつてあった、または今も存在しているのでは、という想像、妄想。

昔は良い時代だった、と一概には思いません。人それぞれの「幸せ」が違う、みんな違ってみんな良い、という今の時代の方が、もっとずっと良い時代だと思います。でも、「違っても良い」今だからこそ、私は本当に幸せが何なのか、その答えがわかりません。

その答えを自問するため、団地の生活を覗く、というルーティーンが今の私にあるのかもしれません。

「幸せ」の形を写真にしたい。それがいま私が写真を撮り続けている動機です。

https://samam.pe/model/

今回撮影したのは、この思いに対しての「正解」ではなく、いきなりアンチテーゼである。

いきなりアンチテーゼ!(この表現が気に入った)

夢の団地に住まい、子を産み、団地に中で暮らす。娘 / 息子は近くの高校に通い、大学・専門学校にもここから通い、青春時代を含む20年超の時を団地と共に過ごす。

最近は「過保護」「過干渉」が過ぎて、子離れできない親、未熟な親が多いのでは、と感じる(昔からそういう親は一定数いたと思うが。)

そういう親が描く「幸せ」を子どもはいつまで演じなければいけないのだろうか。

「コンクリートから人へ」ではないが、親よ、子どもを見よ。いや、もう「子ども」ではない。自分が名付けた1人の「人」を見よ。人の生を見よ。真っ直ぐ見ろ。見ろよ、向き合え。正面から向き合ってなお、お前は自分の生き方を、理想を押しつけるのか。

という感じの重い思いを人生詰み子さん( @5p655 )に汲み取っていただき、演じていただいた次第である。初対面かつ断片の言葉からすべてを理解していただいたり、服屋の店員さんに「団地の子っぽい服はありますか?」と質問していただいた詰みさんには脱帽である。感謝でしかない。あらためて「感謝」をお伝えしたい。

久々に肩に力を入れて写真を撮ってみた。いろいろ反省点を見直して、次もどんどんやっていきたい。

さて、私が一方的に暗いだけで、 詰みさんはとっても明るい子である。というわけで、以下、オフショット的な詰みさん笑顔集で締めくくりたいと思います。

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